「夫婦で歩くスイスアルプス」

ザルテン高原 ウィンター・ハイキング

2018年1月3日。「変わりやすい天気」との予報が出ていましたが、朝は青空が広がっていたので、近場の高原へ出掛けることにします。12番の市内バスに乗ってイェネージエン(伊語名サン・ジェネージオ・アテジーノ)村行きのロープウェイ乗場へ。乗客は我が家だけでした。


ロープウェイは葡萄畑の斜面を上っていきます。写真中央はザンクト・ゲオルゲン(伊語名サン・ジョルジョ)教会で、その背後にモンテ・ロエン(2,116m)、その右にペネガル(1,737m)。写真左がボルツァーノ市街です。

ロープウェイの山上駅から眺めるイェネージエン村。

イェネージエン村の中心に建つ教区教会。

イェネージエン教区教会の内部。

イェネージエン村の高台まで登ってきました。写真左奥がラテマール連峰(2,842m)、その右にツァンゲン(伊語名パーラ・ディ・サンタ、2,488m)を挟んで中央がモンテ・ポッツァ(独語名ティッチェン、1,615m)、教会の塔の右がラゴライ山群のパーレ・デッレ・ブーゼ(2,412m)です。

イェネージエン村の北側から暫く車道の脇を進みます。写真左にシリアール(独語名シュレルン)山塊、中央にローゼンガルテン(伊語名カティナッチョ)山塊、右奥にサン・マルティーノ山塊が見えています。

間もなく車道から左手の静かな林道に入ります。明るい針葉樹林帯の中を緩やかに登っていきます。

東側に眺めるガイスラー(伊語名オドレ)山群(写真左)とシリアール山塊(写真右)。ガイスラー山群は左からセチェーダ(2,519m)、フルケッタ(3,025m)、サス・リガイス(3,025m)、グローセ・フェルメーダ(2,873m)、ラ・カンセレス(2,714m)、ピッツ・ドゥレーダ(2,909m)、プエツシュピッツェン(2,918m)、モンティイェーラ(2,644m)、コル・ダラ・ピエレス(2,747m)と並び、その右はシウージ高原のプフラッチ(伊語名ブラッチャ、2,176m)です。写真中央がセッラ山群で、その右にサッソルンゴ(独語名ラングコーフェル、3,181m)、ザントナー・シュピッツェ(2,413m)、ブルクシュタル(伊語名モンテ・カステッロ、2,515m)、ペッツ(2,563m)を経て、ローゼンガルテン山塊のアンテルモイアコーゲル(伊語名クローダ・デイ・チルメイ、2,902m)、写真右端がケッセルコーゲル(伊語名カティナッチョ・ダンテルモイア、3,004m)です。

一軒宿の山岳ホテル「エーデルワイス」を通過。庭に山羊や羊が飼われていました。

更に緩やかな登り道を辿ると、木立がまばらになり、平坦なザルテン高原に入ってきます。

左手(西側)の眺望。写真左がガントコーフェル(伊語名モンテ・マカイオン、1,866m)、中央がホッホキューラスト(1,836m)、右がラウゲンシュピッツェ(伊語名モンテ・ルーコ、2,434m)とその右にハーゼンエール(伊語名オレッキア・ディ・レプレ、3,257m)です。

ラウゲンシュピッツェ(写真右)方面のズームアップ。写真中央がウルトナー・ホッホヴァルト(伊語名ヴェデッタ・アルタ、2,627m)で、その左にゼーコップフ(2,564m)、レアトシュピッツ(別名ザーマーベルク、2,568m)、アウアーベルクシュピッツェン(2,622m)、イルメンシュピッツェ(伊語名チーマ・オルミ、2,656m)と並び、写真左端がシュテューベレ(2,671m)です。

ハーフリンガーに引かれた馬ソリや乗馬を楽しむ人と何度か擦れ違いました。ザルテン高原の北方に、この馬の故郷とされるハーフリング(伊語名アヴェレンゴ)村があります。

北の方の空は随分と暗くなってきました。写真右に見えている山は、左がイーフィンガー(伊語名ピッコ・イヴィーニャ、2,581m)、中央がフェアディンザー・プラッテンシュピッツェ(2,680m)、右のなだらかな頂がグローサー・ミッターガー(伊語名モンテ・カティーノ、2,422m)。何れもメラーノの町の東に位置する山々です。

右手(東側)には前日に歩いたリットナー・ホルン(伊語名コルノ・デル・レノン、2,260m)が眺められました。右の頂はゴンドラリフトが通じているシュヴァルツゼーシュピッツェ(伊語名チーマ・デル・ラーゴ・ネーロ、2,069m)です。

南東方向に並ぶドロミーティの峰々。写真左端がセッラ山群で、その右にサッソルンゴとサッソ・ピアット(独語名プラットコーフェル、2,969m)を経てシリアール山塊。写真中央がローゼンガルテン山塊で、樹木の右からヴァイオレットテュルメ(2,813m)、ローゼンガルテンシュピッツェ(伊語名チーマ・カティナッチョ、2,981m)、バウマンカム(伊語名クレスタ・ディ・ダヴォイ、2,745m)、チャーガーシュピッツェ(伊語名コロネッレ、2,781m)、チャイナー・シュピッツェ(伊語名スフォルチェッラ、2,810m)、ロートヴァント(伊語名ローダ・ディ・ヴァエル、2,806m)。その右奥はサン・マルティーノ山塊で、左からチーマ・デイ・ブレローニ(3,130m)、ヴェッツァーナ(3,192m)、チモン・デッラ・パーラ(3,184m)、サッス・マオール(2,812m)。写真右端はラテマール連峰です。

上の写真の左半分のズームアップ。サッソルンゴとサッソ・ピアット(写真左)の麓はシウージ高原で、その更に手前(写真中央)はリッテン(伊語名レノン)村です。写真右のシリアール山塊は、左からザントナー・シュピッツェ、ブルクシュタル、ペッツ。

丘の上に建つ山岳ホテル「ラングフェン」(海抜1,527m)に到着しました。裏手にザンクト・ヤーコプ(伊語名サン・ジャコーモ)教会が建っています。

ザンクト・ヤーコプ(聖ヤコブ)教会。14世紀の記録が残る古い教会で、内部はいたってシンプルでした。

山岳ホテル「ラングフェン」のレストランで昼食をいただきました。カミさんは牛肉入り大麦スープ(旨かったです)、私はお団子のような自家製ケーキを白ワインとともにいただきました。

昼食を楽しんでいるうちに遂に雪が降り始めました。ラングフェンの丘を北へ下ってシェアモースの駐車場へ。ここからバスに乗れるんですが、未だ1時間以上の待ち時間があったので、停留所で身支度をして、もう少し歩くことにします。

車道を東へ歩き、フラース(伊語名ヴァーラス)村へ。レストランがあればお茶でもするつもりでしたが、バス停は村の中心から坂道を下った先の教会の前でした。坂道を登り返して戻るのも面倒になり、人影の無い教会の中で時間を潰しました。ところが30分ほど待っている間に雪がどんどん激しくなって、あっという間に5〜6cmも積もってしまい、バスが来てくれるのか心配になりました。

幸いミニバスはほぼ予定時刻に来てくれて無事イェネージエン村まで戻れましたが、ここで乗り継げる筈のボルツァーノ行きバスが全く来ません。どうやら慌ててチェーンを装着するのに手間取ったらしく、30分も遅れてやって来たバスの女性運転士は服が泥だらけでした。この日は欧州各地で冬の嵐が吹き荒れたようで、各地で電車やトラックが横倒しになっているニュース映像をアパートのテレビで観ました。当地は大雪だけで強風にならずラッキーでした。


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