「夫婦で歩くスイスアルプス」

ステルヴィオ峠周辺ハイキング

2011年7月21日。ようやく快晴の朝になりましたので、ボルミオ村始発の路線バスでステルヴィオ峠を目指します。写真はブラウリオ谷奥のつづら折れの道から走ってきた方向を撮ったもの。なかなか見応えのある車窓でした。左上の山はチーマ・ディ・レイト(3,049m)で、この向こう側がボルミオ村になります。

ホテルが建ち並ぶステルヴィオ峠(海抜2,758m)に到着。南側の氷河の上へロープウェイが通じていますが、我が家は北側へ続く道を登ります。

目指すはドライシュプラーヘンシュピッツェ(伊語名チーマ・ガリバルディ、標高2,843m)の山頂です。「3言語の山」という名は、ここがイタリア(イタリア語)・チロル(ドイツ語)・スイス(ロマンシュ語)3国の国境であることに由来しているようです(今は南チロルがイタリア領なので3国国境という訳ではありませんが)。

登る右手にはつづら折れの道が下っていくトラフォイ谷を一望できます。その右後方に見えてきたのはチロル地方最高峰のオルトラー(伊語名オルトレス、標高3,905m)。その左に遠望できているのはズルデン谷東側の山々で、写真中央がフェルタインシュピッツェ(3,545m)、その左はチェングルザー・ホッホヴァント(3,375m)です。

山頂直下のステルヴィオ峠を見下ろす場所に昔の砦の跡が残っています。かつては国境防衛の重要拠点だったということでしょう。

ドライシュプラーヘンシュピッツェ山頂に建つガリバルディ小屋。眺めの良いテラス席で軽食休憩ができます。写真右端に見えているのがイタリア・スイス国境の礎石です。

ドライシュプラーヘンシュピッツェ山頂から南にステルヴィオ峠を挟んで眺めるモンテ・スコルルッツォ(3,095m)。写真右端の鞍部の向こうに白いベルニナ・アルプスが覗いています。眼下の駐車場に停まっている青い車体が、我が家がボルミオ村から乗ってきた路線バスです。

ベルニナ・アルプスのアップ。右がピッツ・ベルニナ(4,049m)、ベッラヴィスタ(3,888m)を挟んで左がピッツ・パリュ(3,905m)です。

ドライシュプラーヘンシュピッツェ山頂から西側の眺望。左に見える蛇行した舗装道路がバスで上ってきた道です。写真中央の分岐がイタリア・スイス国境のウンブライル峠(2,501m)で、左奥へ下るとボルミオ村、右へ下った先がスイスのミュスタイル谷になります。ウンブライル峠の後方に聳える灰色の山は国境のピッツ・ウンブライル(3,033m)で、その右はスイス領のピッツ・リムス(2,965m)。写真左端はモンテ・ラディスカ(2,970m)、その右はモンテ・ブラウリオ(2,980m)で、その右隣に遠望できるのは、これもイタリア・スイス国境を成すピッツ・シュンブライダ(3,125m)とピッツ・テーア・フォンダーダ(3,144m)です。

ドライシュプラーヘンシュピッツェ山頂の国境礎石。その後方の山はプンタ・デル・ナーソ(3,272m)。写真右端のステルヴィオ峠から出ているロープウェイはプンタ・デル・ナーソの肩を経由し、エーベン氷河(伊語名ピアーナ氷河)を越えて左のモンテ・リヴリオ(3,174m)まで通じています(その背後のピークはガイスターシュピッツェ(伊語名プンタ・デリ・スピーリティ)3,467m)。写真左端はマダッチ氷河で、その上流に見えている山は右がトゥッケットシュピッツェ(3,462m)、左がヒンテレ・マダッチシュピッツェ(3,428m)。更に左へミットレレ・マダッチシュピッツェ(3,313m)、トラフォイアー・アイスヴァント(3,565m)と続いています。

ドライシュプラーヘンシュピッツェ山頂の北側からウンブライル峠方面へ下る道が西(写真では右方向)へ分岐しています。我が家はブライトカム(伊語名クレスタ・ラルガ)と呼ばれる尾根(イタリア・スイス両国の国境になっています)上の道を北へ直進します。

思いがけず雪道のハイキングとなってしまった前日のチェデック谷に比べると、こちらの方が高地であるにもかかわらず積雪は僅かです。前方の分岐から左手の岩の上の道を辿り、目指すは左に見えているレートルシュピッツ(伊語名プンタ・ローザ、ロマンシュ語名ピッツ・コッチェン)の山頂(3,026m)です。写真右端に解説板が見えますが、道の右側には第一次世界大戦当時の砦の遺構が点在しています。

右手にオルトラーの美しい姿を眺めつつ歩いていきます。オルトラーの右、ニーデラー・オルトラー氷河の奥に覗いている頂はモンテ・ゼブルー(3,735m)で、更に右へアイスケーゲル(伊語名コルニ・ディ・ギアッチョ、3,530m)、トゥールヴィーザー・シュピッツェ(3,652m)、トラフォイアー・アイスヴァント、ミットレレ・マダッチシュピッツェと続いています。写真左下の谷底に見える建物は山岳ホテル「フランツェンスヘーエ」です。

ブライトカムから北へ連なる尾根の東斜面には、先程の分岐から右手へ進んだ道が延々と続いています。尾根の先に見えるコールシュピッツ(2,933m)の南麓(写真右端辺り)にはゴルトゼーという池があるようです。こちらにも歩いて行ってみたかったですが、トラフォイ谷側へ下ってしまうとボルミオ村へ戻るバス便の連絡が良くないので、今回は断念です。

レートルシュピッツに登る手前の岩の上にはケルンが建っています。

ブライトカムから南西側に眺めるベルニナ・アルプス。右から順にピッツ・チェルヴァ(3,546m)、ピッツ・モルテラッチ(3,751m)、ピッツ・プリエヴルス(3,610m)、ピッツ・ベルニナ(頂上は雲の中)、ピッツ・パリュ、ピッツ・ヴァルーナ(こちらも山頂は雲の中、3,453m)と続きます。左の黒い山はヴィオーラ谷のコルノ・ディ・ドズデー(3,232m)で、写真左端がシーマ・ダ・サオゼオ(3,264m)です。

いよいよレートルシュピッツへの登りにかかります。登山道は先ず右の肩に上り、東斜面を北へトラバースしていきます。

登り道ではラヌンクルス・グラキアリスが可愛い姿で励ましてくれました。

こちらはサクシフラガ・ブリオイデス(シコタンソウの仲間)。

レートルシュピッツ東肩の分岐点セッラ・ダ・ピッツ・コッチェン(2,925m)。ここから左へ折れて登っていけば山頂です。前方はスイスのコシュタイナス谷で、直進してここを下っていくとミュスタイア谷へ至ります。谷の向こうの山はピッツ・コシュタイナス(独語名フルケルシュピッツ、3,004m)で、その右はタルチャー・コップフ(伊語名モンテ・ディ・タッレス、2,963m)です。

セッラ・ダ・ピッツ・コッチェンからレートルシュピッツ山頂への登り道。後方はファラッチカム連峰で、左端がタルチャー・コップフ、その右がクライン・タルチャー・コップフ(2,918m)、中央右寄りがコールシュピッツです。

レートルシュピッツの東側のピーク。ここもイタリア・スイス国境です。後方はオルトラーですが、怪しい雲が空に広がってきました。

岩の裂け目のような場所を渡って西側のピークへ。こちらがレートルシュピッツの山頂で、スイス領内にあります。

レートルシュピッツ山頂から南西側の眺望。左の氷河を纏った山がチーマ・デ・ピアッツィ(3,439m)、中央がラーゴ・スパルモ連峰(最高峰がチーマ・ヴィオーラ3,374m)、右がシーマ・ダ・サオゼオとコルノ・ディ・ドズデーです。

レートルシュピッツ山頂から北東側に眺めるピッツ・コシュタイナス(左)、タルチャー・コップフ(中央)、クライン・タルチャー・コップフ(右)の山々。クライン・タルチャー・コップフの山腹にコシュタイナス湖が見えます。

ステルヴィオ峠への帰路はゴルトゼー方面から来る下手(東側)の道を通ってみました。途中に第一次世界大戦当時ステルヴィオ峠付近でイタリア軍と対峙していたオーストリア軍の野営地「レンプルッフ・キャンプ」跡があります。写真の説明板によると、ここは中立国スイスとの国境沿いで防御に適していたため、当時100棟以上のバラックが建ち並んでいたそうです。

ステルヴィオ峠に戻ってきました。レストランで昼食を摂るつもりでしたが、何処も今ひとつという印象でしたので屋台で売っていた焼ソーセージのサンドウィッチを食べて済ませ(旨かったです)、土産物店を覗いて回ってからロープウェイ乗場近くのレストランに入ってお茶しました。峠の背後の山がドライシュプラーヘンシュピッツェで、その頂上の建物がガリバルディ小屋です。

午後はロープウェイでモンテ・リヴリオに上ってみても良いかなと思っていましたが、天気はますます下り坂で、お茶している間に霰まで降ってきました。眺望が得られそうもないのでロープウェイは諦め、ウンブライル峠まで歩いてみることにしました。再びドライシュプラーヘンシュピッツェに登り、山頂北側の分岐を左折して西へ進みます。

みぞれ混じりの冷たい雨が降る中、ジグザグの道を下っていきます。写真左に見える建物の辺りが目指すウンブライル峠です。

ジグザグ道を下り切った頃に雨が上がり、再び青空が覗いてきました。右手に先程登ってきたレートルシュピッツを眺めつつ進みます。

ムランツィーナ川の最上流部を渡ります。この川に沿ってムラウンツァ谷を下った先がミュスタイル谷です。

ピッツ・ウンブライルの麓にあるウンブライル峠が近づいてきました。先を歩くカミさんの前方に見える建物がイタリア側の管理事務所で、右に見える白い建物がスイス側の税関ですが、どちらにも職員は常駐していないようでした。

スイス税関の右手にレストランがあり、ここでコーヒーを飲んで休憩しました。レストランの前からミュスタイル谷行きの最終ポストバスが発車すると、峠付近は急にひっそりとして寂しくなりました。

イタリア側の管理事務所の前(「第4管理所」バス停)から路線バスに乗り込み、ボルミオ村へ戻りました。


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