「夫婦で歩くスイスアルプス」

モン・シュマン ハイキング

2008年9月19日。今朝は雨になりましたので、シャンペ村から電車でマルティニー市内に下り、駅近くのスーパー「ミグロ」をぶらついてから旧市街のノートル・ダム・デ・シャン教会等を訪ねたりしていましたが、そうこうするうち雨が上がって青空が広がってきました。屋根付き橋でラ・ドランス川を渡り、マルティニーのランドマーク的存在になっているバティア塔に登ります。

バティア塔の内部はレストランになっていて、塔の上には上れませんでしたが、塔の下からでも充分に眺望を楽しめました。写真は西方向に広がるマルティニー・ブール地区の市街を見下ろした図。ラ・ドランス川の流れを挟んで右手の斜面には葡萄畑が広がっています。山々の頂は昨夜再び雪化粧したようです。

バティア塔の直下に建つノートル・ダム・ド・コンパシヨン礼拝堂を訪ねてから旧市街に戻りました。旧市街にある別の「ミグロ」内のレストランでケーキとコーヒーを頼んで休憩した後、「中央広場」のバス停からシュマン村行きのポストバスに乗り込みます。

ポストバスは小学校帰りの子供達でいっぱい。シュマン村はマルティニー市街の南側に横たわる山脈の尾根に広がる集落で、陽光と眺望に恵まれた気持ちの良い村です。写真は村の教会。村にある歴史あるホテル「ボー・ジット」での昼食を目論んでいましたが、入口には何と「20日(=明日)からリ・オープン」の貼り紙が…。昼食抜きでのハイキングスタートとなりました(カミさん曰く「ケーキ食べといて良かった…」)。

シュマン村の上手に「鉱山の小道」の入口がありました。この辺りではかつて鉄鉱石等の採掘が行われていたらしく、その遺構を訪ね歩く遊歩道が整備されているようです。可愛い鉱夫のマスコットが道端の木の幹にプリントされて道案内になっています。

森の中を進んでいくと鉱山跡と思しき洞窟の入口が現れ(但し中には入れないようでした)、その先に鉱石を運び下ろしたらしいケーブル跡がありました。残念ながら「鉱山の小道」はこの辺りで行き止まりになっていて、来た道を戻るしかありませんでした。上記の「鉱夫マーク」はこの後プランシュ峠付近でも幾つか見掛けましたので、プランシュ峠へ直接抜ける道が何処かにあったのかも知れませんが…。

シュマン村の上手から舗装道路を通って東へ緩やかに登り、プランシュ峠(海抜1,411m)にやってきました。週末の朝だけ路線バスがここまで上ってきます。レストランもありますが、オフ・シーズンの今は閉まっていました。

プランシュ峠付近から北に眺めるダン・デュ・ミディ連峰(3,257m)。新雪を被って綺麗でした。

プランシュ峠から先は舗装車道と別れ、林道を引き続き東へ緩やかに登っていくと、1時間弱でトロン峠(海抜1,606m)に至ります。ここは林道の交差点という趣で、何の建物もありません。

トロン峠からは山の南斜面を東へ下ってレヴロン村を目指しました。前方に見えているのはバーニュ谷の入口で、谷底の家並みはル・シャーブルの村。そこから左手へ斜面を上った先に(写真では手前の山塊に隠れていますが)リゾート村のヴェルビエがあります。

右手にはアントルモン谷が美しく眺められました。手前はバーニュ谷との分岐点になるサンブランシェ村で、奥で谷が左右に分かれている手前がオルシエール村。そこから右奥へ延びているのがフェレ谷です。写真右端はル・カトーニュ山の東斜面です。

レヴロン村に入ってきたところです。壁に大きなイノシシの毛皮を貼った小屋も見掛けました。村には残念ながらレストランが見当たりませんでしたので、食料品店でスナック菓子を買い、バス停の待合所でボリボリ食べながらバスを待ちました。

レヴロン村発のポストバスはまたまた学校帰りの小学生達で満杯。外国人観光客が乗っているのを気にした運転手が何度「静かに!」と注意しても静まるのは一瞬で、1分後には再びお祭り騒ぎに。サンブランシェ駅でバスを降りる際、運転手が「騒がしくてごめんなさい」と丁寧に謝ってきましたが、実は嫌な思いは全くしていませんでした。子供達は本当に可愛いですよね。

サンブランシェ駅から電車でオルシエール村に戻ってきました。シャンペ行きのバスの発車時刻まで時間があったので、暫し村内を散策することに。写真は村の中心に建つレストラン「レ・ザルプ」。ミシュランの星付きレストランで、鄙びた村の中でここだけお洒落に輝いています。

オルシエール村の教会にも立ち寄りました。地下に隣村ラ・ロジエール出身のモーリス・トルネーという聖職者に関するパネル展示がありました。第二次世界大戦前後の時代にチベットで活動し殉教した人らしいです。サイヨン村の「ファリネの葡萄畑」がダライ・ラマに捧げられているのも、ひょっとしてこの聖職者の影響でこの地域の人々がチベットの自由に関心が高いからかも知れない…などと考えました。(スイスでは同じ「山岳民族」であるチベット人に親近感を持つ人が多く、ダライ・ラマが亡命した当時から難民を受け入れて欧州最大のチベット人居住国になっているそうです。)


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