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2020年1月5日。ウィーン滞在の最終日は、再び国境を越えてハンガリーの街ショプロンを訪ねることにしました。ウィーン中央駅からグラーツ行き特急「レイルジェット」でヴィーナー・ノイシュタット駅へ行き、1両のみの気動車に乗り換えました。沿線の看板がドイツ語じゃなくなったと思ったら間もなくショプロン駅に到着。ウィーン中央駅から約1時間20分でした。
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ショプロン駅。日曜の午前中なので開いている店舗も少なく、閑散としていました。興味本位から、構内のATMでフォリント紙幣を少しキャッシングしました。でも、ユーロ圏からの観光客が多いからなのか、実際には博物館入場料のような比較的少額の支払でもクレジットカードが使えるようになっていて、短時間の観光ならフォリントの現金を持たなくても大丈夫そうに思えました。
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駅前から「マーチャーシュ国王通り」を北へ歩いて旧市街へ向かいます。途中で東西に長く延びるデアーク広場を横切りました。写真左のモニュメントは、第二次世界大戦で亡くなった人々の慰霊碑だそうです。
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2つの塔を持つ聖ユーダーシュ・ターデー(=ユダ・タダイ)ドミニコ修道会教会まで来ました。その向こう側がセーチェーニ広場で、それを越えると旧市街に入ります。
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セーチェーニ広場に建つセーチェーニ・イシュトヴァーン伯爵の銅像。当地に鉄道の敷設を主導するなど、19世紀前半にハンガリーの近代化に注力した貴族だそうです。
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セーチェーニ広場の南側(ドミニコ修道会教会の西隣)に建つ立派な郵便局。
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セーチェーニ・イシュトヴァーン伯爵像の北側に建つ「リスト・フェレンツ文化会議センター」。当初はカジノとして建てられたものらしいです。
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「リスト・フェレンツ文化会議センター」の前にはピアニスト兼作曲家として名高いリスト・フェレンツ(=フランツ・リスト)の銅像があります。彼はショプロンの南郊外にあるライディング村(現在はオーストリア領)の生まれで、9歳の時にショプロンで初の演奏会を開いたんだそうです。
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「テンプロム(=教会)通り」を北上します。写真は歩いてきた道を振り返って撮っていて、右の建物はベゼレーディ邸、後方の塔は福音派教区教会です。
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テンプロム通りにあるエステルハージ宮殿。内部は「鉱業中央博物館」になっていて、炭鉱の様子や掘削機等が展示してありました。左の壁に掲げてあるレリーフの肖像は、17世紀にここに住んでいたラウフ・アンドラーシュというオルガン奏者兼作曲家だそうです。
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テンプロム通りの突き当りが旧市街の中心、「フェー(=中央)広場」です。広場の中央にはペストの終息を記念して建てられた聖三位一体柱があり、南側には通称「山羊教会」と呼ばれるショプロン最古の教会、聖母被昇天ベネディクト修道会教会が建っています。
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「山羊教会」の内部。山羊が掘り当てた宝物の寄贈によって教会が建てられたという伝説があるらしいです。写真右端の柱に山羊を抱えた人の彫刻が付いています。入口の上部の外壁にも山羊の紋章らしきレリーフがありました。
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フェー広場の北側に並ぶバロック調の建物。写真左端がファブリツィウシュ邸、中央が17世紀に市長を務めたラックネル・クリシュトーフの邸宅であった「将軍の家」、右がシュトルノ邸とその背後に「火の見塔」、写真右端が市庁舎です。
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ファブリツィウシュ邸の内部は、上層階に17〜18世紀の貴族の邸宅の展示、奥に考古学博物館、階下にローマ時代の石碑の展示(写真)があります。ショプロンは既にローマ時代にスカルバンティアという名の町として存在していました。
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シュトルノ邸の内部。19世紀に教会建築の修復で活躍した画家のシュトルノ・フェレンツは美術品収集家としても知られ、所狭しと絵画や家具が並べられています。
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シュトルノ邸内にはショプロンの歴史に関する展示もあります。写真のピアノはリスト・フェレンツが子供の頃に練習用に使ったものだそうです。
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シュトルノ邸(写真左)と市庁舎(写真右)の間に、ショプロンの象徴的な存在になっている「火の見塔」が建っています。街の大半を焼失させた1676年の大火の後、城壁があった場所に建てられました。下部の門には、1921年にショプロンが住民投票によってハンガリーへの帰属を決めたことを記念するレリーフが付けられていて、「忠誠の門」と呼ばれています。
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螺旋階段を辿って「火の見塔」のバルコニーに昇りました。写真は南側の眺望で、写真右手前の屋根がシュトルノ邸、その奥にフェー広場を挟んで「山羊教会」とその背後に福音派教区教会、その左に「コロシュトル(=修道院)通り」を挟んで手前に「薬局の家」(「薬局博物館」が入っていますが冬季は閉館中)、写真左端が「ウーイ(=新しい)通り」。福音派教区教会の後方に見えるテレビ塔の立つ丘はダロシュ山(403m)です。
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「火の見塔」のバルコニーから西に遠望するシュネーベルク山塊。最高峰がクロスターヴァッペン(2,076m)で、写真左端はクルムバッハシュタイン(1,602m)。その手前はブルゲンラント州とニーダーエスターライヒ州の州境を成すロザーリア山脈で、中央のピークがクリーリーゲル(682m)です。
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「忠誠の門」を潜って城壁跡の北東側へ出ると、広々とした交差点の脇に聖母マリア像の柱が建っています。中世に聖母教会が建っていた跡地で、その後は罪人の晒し台があった場所だそうです。
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上記の交差点を北へ入ると、精霊教会がありますが、閉まっていて内部は観られませんでした。
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精霊教会の脇を北へ入った先に建つホテル・レストラン「イェーグヴェレム」で昼食をいただきました。
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メイン料理が1皿1,000円相当程度だったので、3人それぞれ別の料理を頼んでみましたが、どれもボリューム満点でした。写真は私が選んだ「イルマ叔母さんのお気に入り」という郷土料理っぽい一品。衣を付けて揚げられた鶏胸肉の中にクリームソースに和えられたフォアグラが入っていて、完食するのに苦労しました。地元産のビール「ショプロニ」も旨かったです。
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レストランを出て、北東方向へ延びる聖ミハーイ通りを進みます。写真左は途中にある「2人のムーア人の家」。この写真では分かりづらいですが、2棟の建物の間にある入口の両側の柱にムーア人の彫刻が飾られていることから、このように呼ばれているようです。
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聖ミハーイ通りの先に建つ聖ミハーイ(=ミカエル)聖堂。残念ながら大規模な修復工事中で、内部には入れませんでした。
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聖ミハーイ聖堂の北側に別の教会のような建物がありました。この奥には広大な墓地が広がっていて、葬儀が行われる場所なのかも知れません。
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上記の写真の聖堂内部。クリスマスツリーや聖誕飾りもあり、普通の教会のような印象でした。聖ミハーイ聖堂に入れないので、こちらでミサ等が行われていたんでしょうか。
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旧市街の中心へ戻ってきました。ウィンドウに可愛い絵皿や陶器(ハバーン陶器というらしいですね)を並べている民芸品店もありましたが、日曜なので商店は何処も閉まっています。
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ウーイ通りから左手へ聖ジェルジ通りが分岐する角に観光案内所があり、ここは開いていました。地元産のワインも販売していたので、赤ワインを1本買いました。
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聖ジェルジ通りを南下するとツェーザール邸が現れます。この建物にはワインバー「ツェーザール・ピンツェ」が入っていて、観光案内所で「ワインがお好きなら是非」と勧められましたが、開店時刻を待っていると帰りが遅くなってしまうので諦めました。
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ツェーザール邸の近くに建つ聖オルショヤ(=ウルスラ)修道会教会。その前のオルショヤ広場の中央に立っているのは「聖母の噴水」。
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朝は駅前のスーパー「SPAR」が開いていたので、帰りにそこで買物しようと思ってましたが、日曜の営業は午前中だけだったようで、結局フォリント紙幣を使い残してしまいました。帰路はオーストリア国鉄のブラチスラヴァ行き電車に乗って直通でウィーン中央駅へ戻りました。左奥に見えているのがハンガリー国鉄の電車です。
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