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【記事番号:22859】 安曇野

投稿者: kiya
投稿日時: 25/06/21 11:17:48

そうですか、なおなおさんはスイスに出掛けて30年以上にもなるのですか!、べったり沁み込んだスイス愛は、止まないのですねー。

私も長野には、思い出があります。若い頃には全く興味も何もなかった長野県ですが、大学生の頃に何かのサークル合宿で行った白馬で、日本にもこんなところが有るんだな〜!と思ってました。当時の駅は白馬では無くて八方尾根だったと思います。

亡くなった親父からは、若いころに平戸島から出て来て、当時は産業として紡績が盛んだったので、信州大学の繊維学科に行った、と聞かされてましたが、なにせ人の事に興味を持たない私は、「ふ〜ん!」と受け流していただけでした。

昭和44年に学校を出て、新卒として親父の勧めで就職した会社は、私は興味が無い電気を扱う小さな会社でしたが、商品部という部署に配属されると間もなく、研修を兼ねて長野工場勤務を、秋まで行ってこいと命じられて、行きました。 大きな工場は安曇野に有りました。
工場完成に合わせて農家が始めた旅館が豊科に有って、これが宿泊の宿でした。トイレ風呂共同でしたが2食付きで、毎日出張手当が付いて、給料が2倍ある感じでしたよ。
私は入社した翌春には結婚したのですが、出張手当だけで生活も遊びも出来るので、全く使わなかった給料がささやかな結婚の費用に出来ました。
工場は通勤バスが豊科駅に着くので、穂高や信濃大町からも女工さんが通勤してました。
この頃に見た、東と西を山に囲まれた風景はとても印象的でした。
休日には、上高地や黒部ダム、美ヶ原高原などに仲間と出かけました。

工場には、若い女工さんが多く勤務していて、農家の若い主婦などもアルバイトに来ていました。若い主婦の人が、この土地から出たことが無いので外に世界を見たい!連れ出して欲しいと、再三言われましたが、誘惑には乗りませんでした。 若い可愛らしい女工さんは、今度時間が有るときに、富士急ハイランドに行きたいと言われて一緒に行くつもりでしたが、その頃からなぜか休みがちになり、急死してしまいました。
可哀そうだったなー!という気持ちが、ず〜っと何年も残りました。

その会社は、工場研修を終えて東京に戻った後も楽しい会社でしたが、将来性の点で疑問が有ったので、30歳になる少し前に転職して、その後は、途中入社のハンデが無さそうな、出来て数年の住宅会社に途中入社して、会社が大きくなって、一部上場したこともラッキーで、リタイアする65歳まで居ました。
怠け者でしたが、働くにはなかなか楽しかったですョ。


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